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大念寺
建立 天文二十三年(1554)または弘治元年(1555)に知恩院第二十七世の徳誉光然總欣(とくよこうねんそうごん)禅師を開基に、当地の有力者・井尻但馬守長助が一人で建立、永禄元年(1558)に正親町天皇の綸旨により勅願寺になりました。山号は見佛山といい、浄土宗の寺院です。 |
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阿弥陀如来立像(重文) 胎内文書の奥書に仁治四年(1243)とあり、作者は快慶またはその工房と推定されています。非常に優美なお姿の阿弥陀如来像です。 比叡山横川の常行三昧堂の慈覚大師円仁の念持仏(戦火で焼失)の摸像(真正極楽寺=真如堂に安置・二代目)を粟生光明寺第四世の善慧房証空がさらに摸刻(三代目)して念持仏とし、西山の善峰往生院(現在の三鈷寺)に安置されていました。その後島本町にあった浄土院を経て、大念寺に祀られるようになりました。 先代住職の時、胎内より結縁者106名の名簿、お経7巻、阿弥陀如来種子月輪蝶、未敷蓮華(みぶれんげ)など数々の品物が発見されました。 |
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元治元年に起こった禁門の変では、長州藩の一部が宿営所にしていたためか、討伐軍の手で建物が全て焼かれ焼失しました。現在の本堂は神仏分離令で廃寺になった西観音寺の閻魔堂を明治十一年(1878)に移築したものです。このとき同時に十王像も引き取られています。閻魔大王ほか四体の尊像は祀る場所がないので、宝積寺に引き取られました。廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中、焼失消失した大念寺が再興されたのは、正親町天皇による勅願寺であること、檀家が結束して再興に尽力したことによるといわれています。 |
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文化財 | 阿弥陀如来立像「重文(鎌倉時代・木造)」 宝筺印塔(町指定) |
所在地 | 〒618−0071 京都府乙訓郡大山崎町大山崎上ノ田69番地 |
拝観 | 事前に電話による予約が必要です(要志納料) |
電話 | 075−956−0762 |