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水無瀬の滝
享和三年(1803)広瀬村から幕府へ出した「村方明細書上帳」に「字峯山ノ内、水無瀬瀧御座候、高サ十間坪ナシ 但し巳ノ方向」とあります。この瀧から後ろの山は峯山といって、天王山の峯つづきで、ここだけ広瀬村の飛び地になっています。 「水無瀬山 せきいれし滝の秋の月 おもひ出ずるも涙なりけり」と鎌倉時代の代表的歌人 藤原家隆が詠んだのはこの瀧のことでしょうか。