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妙喜庵(茶室待庵)

  伝・山崎宗鑑の隠棲地
 正式には豊興山妙喜庵といい、臨済宗東福寺派の寺院です。室町時代の明応年間(1492〜1500)に東福寺の春嶽志芳が開山となって建立しました。現在の重要文化財書院は創建当時のもので、妙心寺の霊雲院を模したともいわれています。
 寺伝によると、当庵は俳諧連歌の始祖で知られた山崎宗鑑の隠棲地と伝えられます。宗鑑は近江源氏佐々木氏の子孫で、足利九代将軍義尚に仕えていましたが将軍の死後山崎に居住、山崎を姓とし書の揮毫や連歌の指導をします。油を荷なって京都に出て終日売り歩いて帰庵するのを常としたといいます。後世宗鑑の油筒を模して花入れとした「油筒の花入」は妙喜庵名物の一つです。また、宗鑑の遺物として「雨柵々」等軸数幅があります。
 
 待庵
 天正十年(1582)当庵三世功叔禅師のときに山崎合戦があり、羽柴秀吉は戦勝後山崎城を築きます。城下に千利休を招き二畳隅炉の茶室をつくらせました。利休は功叔禅師と共に秀吉に茶を点じ禅を談じたといいます。茶室はその後解体され、慶長年代(1596〜1615)に妙喜庵に移されたといわれています。茶室待庵(国宝)は千利休独特の構想で建てられ、現存する草庵風茶室としては日本最古のもので、千利休の遺構として唯一のものと考えられています。
 
拝観は予約が必要です。なお、大山崎町歴史資料館には実物大の復元模型があり、いつでも見ていただけます。
文化財 茶室待庵「国宝(桃山時代)」 書院「重文(室町時代)」
所在地 〒618−0071 京都府乙訓郡大山崎町竜光56
拝観 1ヶ月以上前に往復はがきで複数の日(午前・午後)を記載しお申し込み下さい。
志納金(一人千円)が必要。
但し、団体と高校生以下は拝観できません。
電話番号 075−956−0103