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関大明神

 由来
 離宮八幡宮の前の西国街道を西に進み、神社の角を回ったところに「従是東山城国」の石碑が立っています。ここは古来、摂津と山城の国境で、今も大阪府と京都府の府境です。石碑のすぐわきにある社が関大明神(関戸明神社)です。創建は不詳ですが、従来この地は古代の山崎関跡といわれており、関守神や境の神(辻神)として疫神を祀ったとか、伯耆国・大山の大智明神を祀ったのが始まりともいわれています。
現在、お祀りしているのは次の神様です。
 祭神:大己貴命(おおむなちのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)

 エピソード関大明神社
 奈良時代から平安時代の初めにかけて、この地では病気流行のたびに疫神祭が行なわれたといいます。関が廃止された跡地には関戸院(公営宿泊施設)が設けられ、都から西国へ向かう貴族や官人の宿となりました。治安三年(1023)関白藤原道長が高野山と四天王寺参詣の帰途に立ち寄ったことが古い記録に見えます。
 また、寿永二年(1183)には木曾義仲に追われ西国へ落ちのびる平氏一門が、安徳天皇の御輿を当院にすえて、対岸の石清水八幡宮を遥拝し、京の都への無事の帰還を祈ったといいます。ここはまた、西国へ向かう旅人と見送る人々の惜別の地でもありました。
   

所在地 大阪府三島郡島本町山崎一丁目