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水無瀬神宮
祭神は後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇の3柱で、大阪府下唯一の神宮です。後鳥羽上皇は水無瀬川右岸、淀川との合流点付近に水無瀬殿を造営し、たびたび御幸しました。小倉百人一首を選定した藤原定家は、たびたびお供して離宮に伺候したと「名月記」に書き残しています。上皇は武芸のほか、和歌など芸事百般に通じられていたが、刀鍛冶にはひときわ興味をいだかれ、この地の「金井戸」の水を使って「菊一文字」を鍛えたと伝えられます。 (左図は後鳥羽上皇) |
後鳥羽上皇は、源実朝暗殺の混乱に乗じて承久三年(1221)「承久の乱」を起こ し倒幕を計ったが破れ、隠岐島に配流され18年後にその生涯を終えました。 (土御門上皇は阿波、順徳上皇は佐渡で亡くなっています。)崩御の13日前に 遺書(後鳥羽天皇宸翰御手印置文・国宝)を残され、生前寵臣であった水無瀬野 信成・親 成親子に摂津国水無瀬・井口の両荘を与え、菩提を弔うように言い残 しています。 水無瀬親子は離宮跡に御影堂を建てて水無瀬殿と呼び、後鳥羽上 皇の怨霊の象徴としました。 今の本殿がかっての御影堂で、寛永年間(1624〜1643)に宮中の内侍所を下賜 されたものといわれます。明治六年(1873)に官幣中社水無瀬宮となり、昭和14年に 官幣大社に昇格、名前も水無瀬神宮に改められました。(右写真水無瀬神宮) |
国宝や重要文化財が多数あります。貴人づくりで、躙口のない茶室「燈心亭」(重文) は拝観が可能です(要予約)。大阪府で唯一全国名水百選に選ばれた「離宮の水」や、 石川五右衛門の手形などもあります。 |
文化財 |
後鳥羽天皇肖像(鎌倉時代・国宝)等 国宝2、重文5(非公開) |
所在地 |
〒618−0011 大阪府三島郡島本町広瀬三丁目10−24 |
灯心亭拝観 |
往復ハガキ又は電話で拝観希望日の一週間以上前に予約してください。 |
電話番号 |
075−961−0078 |
行事 |
4月4日:後鳥羽天皇祭 |