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聖天さんの乞巧奠(七夕まつり)

 聖天さん(観音寺)ではごく近年まで、旧暦7月7日の夕方に乞巧奠(きこうてん)が行われていました。
乞巧奠とは古く奈良時代に中国から日本に伝えられた星の祭りで、わが国では宮中の儀式として始まり武家、そして庶民に拡がり「七夕まつり」として現在まで盛んに行われています。

 中国の古伝統ではこの日、牽牛、織女の二星は「天の川」に到り、織女は鵲(かささぎ)の羽を並べて作った橋を渡って牽牛に1年1回の会見をします。日本では牽牛を彦星と言い、織女は機織姫と言います。彦星は「耕」機織姫は「織」を象徴し,両星は夫婦関係にあると言います。七夕にこの二星を祭るのは寿福を願い、恋愛、子福を祈り才能を願うためで、特に女子は機織・裁縫の巧みを祈るもので3年の中に願いの叶わぬことはないとされています。
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 旧暦7月7日の夕べ(午後4時)に聖天さんの鐘楼の前に笹竹で四角に囲み「星の座」の祭壇が作られます。祭壇は四脚の机を田の字型に置き、机の周囲に9本の燈台をめぐらせ、後列の机と机を琴で橋がけ、机の前に梶の葉と5色の糸を飾ります。前列の二つの机の上にお供え物として酒、鯛、枝豆、瓜,茄子、梨、桃等を供え、また角盥に水を入れて置きます。

 日が落ち夕べになると、役僧二人が祭壇の前に座り、乞巧奠願文、般若心経など御法楽が唱えられます。次いでナノリソ同人(5人)も加わり和歌披講で和歌を朗詠、催馬楽では難波海(なんばのうみ)・更衣(ころもがえ)を、雅楽では林歌(りんか)・陪臚(ばいろ)が奏でられます。そして「二星」を「二星たまたま逢えり、いまだ別緒依々の恨をのべざるに、五夜まさに明けなんとす、しきりに涼風颯々の声に驚く」と朗詠して終わります。夏の夕べ、蝉の声を背にして一時間余り優雅な平安王朝の趣に浸ります。

 一方、古くから京都の冷泉家に伝わる乞巧奠(きっこうてん)は、陰暦7月7日の星祭りです。牽牛、織女の二星に種々の供え物をし、蹴鞠、雅楽、和歌などを手向けて、技が巧みになるようにと祈る七夕の儀式として行われています。冷泉家では和歌を書いた短冊を「星の座」の祭壇に供えます。乞巧奠は昼間から行います。

 昼間は蹴鞠をし夕方には雅楽を始め、暗くなると庭の灯台に火をいれて星に和歌をお供えする「披講の座」か始まります。それが終わると「流れの座」として天の川に見立てた白い布を挟み両側に男女に別れて和歌を詠み合います。彦星と織姫になぞらえて、一年に一度の逢う瀬を楽しむという趣向です。(冷泉家時雨亭文庫より)

 この伝統ある行事の早期復活を願っています。

                            乞巧てん

                     「和歌披講」の場面