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観光スポット「西国街道」 
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黒門跡
  

 昔の大山崎の集落は西国街道に沿ってありましたが、黒門はその集落の東と西の端にあって、夜になると用心のため門扉を閉めていました。東黒門は五位川が西国街道と交わるところにありました。東黒門跡には石敢当(いしがんとう、せっかんとう、せきがんとう)があります。また、山崎合戦が始まった場所との記録も残っています。

 西黒門は島本町のユニライフ(マンション)の前辺りにありました。ここにある入江家は昔は宿屋でしたが、昭和になってからも「黒門の木屋」とよばれていました。また、入江家の向かいのうどんや「かぎ卯」は谷崎潤一郎の「蘆刈」の主人公がうどんを食べ、酒を飲んだ店とされています。


〇アクセス:
  東黒門 JR山崎駅徒歩約15分、阪急大山崎駅徒歩約12分
  西黒門
JR山崎駅徒歩約5分、阪急大山崎駅徒歩約8分


 黒門を開け明智陣営に攻め入る
高山右近勢

石敢当  東の黒門跡にあり、魔よけの石で、沖縄、南九州あるいは中国南部に広く分布しているといいます。沖縄には700個ほどあり、現在も新設されているが、京都府には三つしかありません。悪鬼、邪気は曲がり角を曲がれず石敢当に当たって死ぬといわれています。

〇アクセス:JR山崎駅徒歩約15分、阪急大山崎駅徒歩約12分
久我畷
分岐点
 久我畷(こがなわて)分岐点は西国街道の東黒門跡の少し北にあります。久我畷はここから北西の秋ノ山(伏見区の城南宮の近く)まで一直線につけられた道で、平安京の朱雀大路を南へ真直ぐに延長した「鳥羽作り道」に接続されていました。平安時代に作られた道で、初期には幅が10mもありました。しかし湿地地帯に造られた道なので、雨季には大変ぬかるんだようで、その様子は太平記にも載っています。その後何度も盛り土をして乾燥を図りました。現在でも、幅4mほどに縮小されていますが、一部分が残っています。江戸時代には西国街道に近い部分を伏見街道と呼んでいたようです。

〇アクセス:JR山崎駅徒歩約15分、阪急大山崎駅徒歩約12分
中山修一
記念館


(HPへ)

見学時間
約1時間
 784年に平城京から遷都した長岡京は長い間「幻の都」と言われてきましたが、中山修一先生の発掘と研究によりその実態が明らかになって多くの人々に知られるようになりました。ご遺族により自宅の一角が長岡京市に寄贈され、市は中山先生の偉業を広く世に知らせ、後世に伝えていくために記念館にして公開しています。先生の研究の成果を展示しており長岡京について学べます。

〇アクセス:JR山崎駅、阪急大山崎駅から徒歩約45分
      阪急西山天王山駅から徒歩約15分
      JR長岡京駅、阪急長岡天神駅からバス久貝下車徒歩1分
〇開館時間:10時〜16時
〇休館日:火曜日。および12月28日〜1月4日
〇電話:075−957−7176

中山修一記念館
勝龍寺城址
公園


見学時間
約30分
 勝龍寺城は小畑川と犬川が合流する段丘部の先端に築かれ、西国街道と久我畷を抑える交通の要所に位置します。室町時代初期に造られたこの城は、戦国時代には細川藤孝(幽斉)が入城、明智光秀の娘・玉(ガラシャ)が藤孝の嫡男・忠興に嫁いだ城としても知られています。平成4年に勝龍寺城公園として整備されました。

〇アクセス:JR山崎駅、阪急大山崎駅から徒歩約60分
      JR長岡京駅より徒歩約10分

勝龍寺城
神足神社

拝観時間
約20分
 延喜式・神名帳に記載のある式内社で、乙訓十九座の一つです。当社には「桓武天皇の夢」として次の伝説があります。
「田村(神足村の旧名)の池に神が降り立ち、宮中を南から襲おうとした悪霊を防いでおられた夢をみられたという。天皇は目覚められ、田村にこの神を祀る社を建てさせ、太刀と絹を秘蔵させた。」以後この社は「神足神社」、この地を「神足村」と呼ばれるようになったといいます。

〇アクセス:JR山崎駅、阪急大山崎駅から徒歩約60分
      JR長岡京駅より徒歩約10分

神足神社