むかしむかし、京のみやこに住んでいた蛙が、一度は難波(大阪)の街を見物したいものと望んでいました。あるとき思い立って難波見物にと出かけ、西国街道をぬけて大山崎へ出、天王山へ登って行きました。
いっぽう、難波にも都見物をしようと思い立った蛙がおりました。これも西国街道を東へ、あくた川、高槻、大山崎と通って天王山まできました。山の頂上で二匹の蛙がばったり出会ったのです。
おたがい同じ仲間同士、いろいろと世間話をし、これからの行き先も語り合いました。「ところで、こんなに苦しい思いで歩いてきたものの、まだ半分来たばかりじや。疲れるのう」「ここは名に負う天王山のてっぺんじや。京も難波も一面に見渡せるところじや。ためしにやってみるか」と、それぞれ自分の目的地のほうを向いて精一杯爪先だって背伸ぴをしました。
しばらく目をこらしていましたが、京の蛙が言いました。
「音に聞えた難波の街も、みれぱ京の街と変わりはない。しんどい目をして行くこともない。ここからすぐにかえるとするわ」と。
難波の蛙も目をぱちぱちして、「花の都と聞いてはいたが、難波と少しも違いはないわ。馬鹿らしい。かえるはかえるわ」とこちらもさっさと帰って行きました。
一体どうしたことでしょう。蛙の目玉は頭の上に後ろを向いてついているのです。だから、むこうを見渡した気でいましたが、つまりは、自分たちが来た方角、京と難波を見ていたのです。自分自身のことを知らないで物を見ると、全く逆の方しか見えないとの、きつーい譬え話です。
(鳩翁道話より)
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