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きつねの渡し

 江戸時代も太平が続き、西国街道の往来は活気が満ちていました。ここは山崎村の泥が浜。

泥が浜は丹波と大阪、西国街道と京街道を結ぶ水上輸送の港で、大原野の善峰寺から男山八幡を巡拝する人が多く、
渡し場としてもにぎわっていました。

 この泥ケ浜がいつのころからか、「きつね渡し」と呼ばれるようになりました。七変化のキツネのように川の流れがくるくる変わるところから生れたのです。

 あるとき、二条城に勤める役人が船に乗り込みました。岸を離れて間もなく、船足が遅くなり、つい今まで順調だった流れが変わっています。役人は権力をカサに「どうしたことじゃ、こら船頭。なんとかならぬのか」と言うと、そこは水になれきった船頭のこと「へい、お役人さま。なんせ、おキツネさまの仕わざ、少しお待ちになれば、もうコンコンで、静かになりまする。へい」

 このやりとりが、旅人から旅人へと伝わり、西国街道の「きつね渡し」として、さらに知られるようになったといわれています。

                             

 有名になった「きつね渡し」は、場所を示すしるべが各所に設けられ、「すぐきつね渡し」と書かれてありました。
“すぐ”というのは、“もうすぐ”の意味ではなく、“まっすぐ”のことだったといいます。もっとも、この「きつね渡し」は木津川と桂川の合流点、木津根を渡ったことから“きづね”がなまったものだとする説もあります。

                                                                                                                「京都 乙訓・山城の伝説」(京都新聞社編・刊)から引用