江戸時代の初めころに円明寺川(今の小泉川)の川べりに子供を守ってくれるというお地蔵さんが祀られており、大日如来地蔵と呼ばれていた。ある時、出産の予定日を過ぎ、村の若妻が苦しみだし、1日中陣痛が続いたが生まれず、このままでは母子とも命が危ない」、「この上はあの地蔵さまにおすがりするしかない」と、必死に願をかけてお百度を踏んだ。
丁度3日目の朝、お百度参りが通じたのか、玉のような元気な赤ん坊が産声をあげた。あのお地蔵さんのおかげと、御礼参りに花を持って川べりまで行ったが、お地蔵さんが見当たらない。昨夜まで確かに居られたのに。
きっと難産の苦しみを一身に引き受けて、渾身の力を振り絞られたからだろう。川べりにポツンとたたずむだけの地蔵さんだっただけに、どこへ行かれたのかと首をかしげるだけで、その跡に花を供え、何度もお礼を言うほかなかった。
この話が村中に広がり、やがてお産のあとは、この川原で赤ちゃんの健康を祈るというのが習慣になった。そして何時の頃からか、お産のときに使った布などをこの地に埋めて願をかけるようになったと伝えられている。
昭和の初めに川が改修されたとき、大日如来の石像が川底から一体掘り出された。これこそあのお地蔵さんだということで、今、松田橋のたもとに安置されている。
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