むかし、むかしのこと。西岸寺のある油掛通りは、三十石船で賑わう伏見港に近く、旅人や
商人が行き交う通りでした。 あるとき、大山崎から一人の油商人が油桶をになって伏見へやってきました。ちょうど西岸寺の門前にさしかかったときです。なにかの拍子に転んでしまい、油桶がひっくりかえり、中の油はほとんど流れ出てしまいました。
大切な油を失い、しばらく途方にくれていた商人ですが、これも災難とあきらめ、気をとりなおして、桶の底にわずかに残っていた油を地蔵様にかけて帰りました。この商人の気持に地蔵様がこたえてくださったのでしょうか。このとき以来、商売が繁盛して、商人はまもなく大金持ちになったということです。
このうわさはすぐに広まり、それからというもの地蔵様に油をかけて祈願すれば願いごとが叶うと評判を呼び、特に商売繁盛を願う商家の人びとの信仰を集めるようになりました。
このようなわけで、この地蔵様は「油懸地蔵尊」と呼ばれ、このあたりの地名の由来にもなっているのです。
長年、信仰の厚い人びとが油をかけて祈願をしてきましたので、地蔵様は黒く光っており、油の層は2cm以上になっているそうです。
むかし、西岸寺は壮麗な寺院でしたが、鳥羽伏見の戦いですべて焼け落ち、現在の地蔵堂は昭和53年に再建されたものです。御影石でつくられた身の丈約120cmのお地蔵様は愛らしいお顔をされています。町なかのお地蔵様としてたいへん親しまれ、お参りする人の姿はいまも絶えません。
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