奈良時代、高僧行基が弟子を連れて山崎の里へやってきました。淀川のほとりに着くと渡し舟が 見当たりません。
大きな柱が一本川面に突き出ているのを見ました。
里人に尋ねると、その昔この地に橋がかけられることとなったが、当時の風習で人柱をたてなければならない。
人柱には美しい茶屋の娘が選ばれました。白羽の矢を立てられた娘は「私の命で神の心がやすらぎ、無事橋がかけられるならば」と、川底に身を沈めました。
その後、度重なる大水で橋は流され大きな柱一本が残っていました。そこで行基は、「この橋は行基にお任せあれ」と手を合わせると橋つくりに取り掛かりました。
当時、地方から都へ塩、米、布等の租税を運ぶ人、宮中や寺院の工事にかりだされた人々も 皆この橋を渡っていったのです。行基の胸の中には、茶屋の娘の心意気が刻まれていたのでしょう。
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